常盤台めぐみ幼稚園

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えんだより 3月 巻頭言

「また、会う日まで」

 

今年もまた、別れの季節を迎えました。「別れ」には、送別、離別、死別…など深い悲嘆(グリーフ)が伴います。例えば、親の転居によって、友だちと引き離された子ども達や学生が、頭では親の仕事を優先することが大切だと分かっていても、心と魂では言葉にならない悲しみと痛みを抱えたまま過ごすことがあります。そして、時を経てから怒りや感情が溢れ出す姿と向かい合う機会が何度もありました。どのような状況におけるグリーフ(悲嘆)においても、一番大切なケアと関わりは、痛みを覚えている子ども達も大人も、そのあるがままの感情を言葉化するチャンスをつくり、その表情や言葉に傾聴(黙して耳を傾ける)し、その思いに寄り添うことだけです。とは言え、それがまた一番難しいこととも言えます。先日も、あるスーパーで床に転がってお母さんに訴えている子どもがいました。その子どもを決して無視することなく、かつ笑顔で見守るお母さんの姿を見かけました。きっと周りの人たちからの視線が気になって、心の中は決して穏やかではなかったと思いますが、「ダメなことはダメ」、「出来ない事はできない」と確固とした決意の中で、時間を惜しまずその子の感情を受けとめておられるお母さんに拍手を送りたい思いでした。時間はかかりますが、子どもが乗り越えることを信じて見守ることが最高の関わりになるからです。私は最後までこの様子を見守れず、その場を後にしてしまったのですが、、、。

 

去る月は、ご高齢の教会員三名とお別れをすることになりました。人生で最も辛い死別の時が葬儀ですが、キリスト教式葬儀に参加された方は口々に、「キリスト教の葬儀は、悲しみだけではなく希望が不思議と与えられますね」とおっしゃってくださいます。その理由を一言で言うと、イエスさまを信じ、神にある永遠の愛を知った者は、神の許に帰るという行先を知らされ、天で再会する希望が約束されているからです。

 

めぐみの園児たちも、卒園時に別れの意味を理解する子もいれば、卒園後に改めて感じる子、全く感情を何も表さない子など様々です。園の教員たちは、惜別を理解し、時ある毎に涙しながら行事をこなし、予期悲嘆(別れを予期し先に悲しみを表出)の時を過ごしています。ですが、またこの園や教会のプログラムに帰れる場所が備えられ、再び皆さんと喜びや悲しみを分かち合えることを信じていますから、心は平安です。「悲嘆の階段を踏みしめて、人は成長する」との言葉を信じ、皆さんと、神さまに与えられた「涙・なみだ」を恐れずに流す時を過ごしたいと願っています。では、また会う日まで。

 

園長:友納靖史

 

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